母に尋ねたことがある。
「もし明日死ぬとして、最後何が食べたい?」
「私ね、うなぎ。尾花のうなぎが食べたい。」
「尾花」は台東区南千住にある。
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東京都内では東の横綱と呼ばれ、西の横綱「野田岩(東麻布)」と並び
うなぎの名店として知られる。
予約を受け付けていない人気店で
開店前から行列ができることでも有名である。
そうだ 尾花、行こう。
雨粒落ちる休日の朝9:30
私たちは「尾花」に到着した。
開店時間は11:30。
すでに1組ご夫婦がいらっしゃった。
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常磐線の高架と電信柱、少し高い位置から顔を出す雑草たち。
この雰囲気には雨がよく似合う。
入店を待つ間、不器用に傘を持ちながら各々の時間を過ごす。
談笑する者
缶ビールを傾ける者
スマートフォンをいじり散らかす者…
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せっかくなので趣深い時間の使い方をしよう。
そう決めて行列に足を踏み入れた私は
入店まで読書で時間を費やすことにした。
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傘を差しながらの読書というものは想像をはるかに越えた難儀な仕事で
紙面に落ちる雨粒の数がそれを物語る。
武士道から一番遠い星に住んでいる下町の商人は
若きサムライが刀を鞘に納めるように
文庫本を尻のポケットにそっとねじ込んだ。
尾花の門を、くぐる。
10:30頃になると店のシャッターが開き
開店まで敷地内で待機することとなった。
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門をくぐるとすぐ右手に鳥居が見える。
その手前には「伏見玉姫稲荷神社」と書かれたのぼり。
調べてみると、宇迦之御魂命という穀物の女神が祀られているのだそう。
料理屋さんの敷地内に神社があるなんて初体験である。
空気にどことなく厳かさを思った。
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店前の軒下に入ると人数の確認をされる。1組あたりの人数を聞かれるのだ。
それが終わると、沿道にまで伸びた行列にも人数を聞いていく。
その最中、トイレから帰ってきた女性の声から衝撃の事実を知る。
「今日もう売り切れらしいよ。」
時計を見ると10:45。
開店45分前である。
開店前の行列で完売御礼。
なんと凄まじい。
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「今日おなかペコペコだから2個食べちゃおー♡」
とか思っていた自分が情けない。
まぶたに雨粒を当てて「泣いてないよ」なんて言いながら帰路についた方々の分まで
おいしくいただこうと心に決めた。
いざ、尾花。
11:30。
いざ入店。
「お待たせしました」って言ってくれる店員さんに悪気がないことくらい分かっている。
待った。
待ったのだ。
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店内は料理のみ撮影可で、店の雰囲気を撮影することはできなかった。
玄関を上がり畳敷きに上がると正面には立派な神棚。
左手に広々とした厨房。
右手に客間が広がる。
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尾花を、喰らう。
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席に着くと、おしぼりと箸があらかじめ置かれている。
テーブルに立っているメニューの表面には食事、裏面には飲み物が記されている。
注意書きにもある通り、焼物は最初に注文しなければならない。
30分~40分じっくり時間をかけて焼き上げるとのことだ。
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注文をすると、一番先に漬け物が届く。
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前菜を頼まない連中はこいつで30分間ちびちびやるのかー。それも大変だな。
そんなことを考えているうちにビールが来る。
乾杯の時間だ。
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瓶ビールもしっかり冷えていてクオリティが高い。
並んでいる間に缶ビールを我慢してよかった。
そう思わせてくれる、これもまた逸品である。
少しして、まず出てきたのは鯉あらい。
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鯉あらいとは、鯉こくと並ぶ代表的な鯉料理の一種である。
鯉は一度、湯洗いしてから切り身にし、最後に氷水にくぐらせて身を引き締める。
コリコリした食感と鯉のあっさりした味に、特製の酢味噌が合う。
つづいては、う巻。
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これがなかなかのボリューム。そして綺麗。
う巻は蒲焼を細長くカットして巻いていくスタイルが一般的である。
しかし「尾花」のう巻は、中落ちのように少し細かい部分をしっかりと包んで焼く。
ふわふわの玉子を邪魔する食感がなくなり
とてもやさしい口当たりになる。
そして、ここまでの2品で少し気づく。
一品一品にきっちり仕事が施されていて抜け目がない。
「うな重」や「蒲焼」というメインに向かって少し余力を残しながら前菜を提供する店は多い。
専門店であれば尚更だ。
「尾花」からはそれを感じない。
料理人の腕とプライドが前菜から随所に垣間見えて面白い。
高揚しながら次の品を待つ。
焼鳥だ。
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うなぎ屋の焼鳥ってなぜこうも美味しいのだろう。
たれにうなぎの旨味が詰まっているからか。
はたまた、炭自体がそうさせているのか。
「大将、あんた焼鳥屋で充分やっていけるよ!」
思わずそう叫びそうになった口に、大ぶりの鶏肉を詰め込んで私を黙らせた。
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実は私が一番感動した一品がこの「うざく」である。
うざくとは、きゅうりとうなぎの酢の物のことで、料理屋では夏の時期によく提供される。
熱々の焼いたうなぎの蒲焼に、冷たいきゅうりの酢の物を合わせて食べるのだが、その温度差と味の濃淡差がやみつきになる。
先述した通り「尾花」の料理一品一品には料理人の「こだわり」を感じ取ることができる。
「尾花」のうざくに用いられる三杯酢は酢・醤油・砂糖がどれも主張しすぎず調和の上に色を出し、最後にふわりとだしが香る。
夏の暑い今時分、疲れた身体に酸味を求めれば酢が顔を出し
ほっこりしようと甘みを探せば、砂糖がすぐそこまで来てくれる。
少し湿った夏の雨空に、うざくの三杯酢が寄り添ってくれた。
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「私これでヤケドしたことあるんですう」って愛嬌たっぷりにグツグツ煮立った鍋を運んでくれる。
しずる感たっぷりの柳川をフウフウしながらいただく。
比較的あっさりした味付けの柳川に舌鼓を打ちながら
いよいようなぎがやってくる。
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うなぎと言えば蒲焼となるところだが、私は白焼が大好きだ。
白焼も私のことを好きだ。
ふっくらと焼かれた白焼をわさび醤油でいただく。
「まずは何もつけずにいただく」とか言うてる場合ちゃう。
その焼き方に感動しさえすればいいのだ。
美味しい。
これでいいのだ。
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白焼と比べて漬け焼きをした分、ふわふわの中にしっとりが生じる。
「尾花の味」とはこのことなのだろう。
うなぎ・焼き・たれを存分に堪能する。
これでいいのだ。
本当に、これでいいのだ。
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到着したうな重のふたを開け、ほわんと香るアレを嗜む。
温かいうちに山椒を振る。
そして、またふたを閉める。
これが我が家のうな重セオリーである。
父曰く「山椒の香りを花開かせる」のだそう。
ふむふむ。
母曰く「山椒はね、イチ・ニ・サンショッ!って振るのよ!イチ・ニ・サンショッ!って」
どうやら八海山がキマり過ぎた模様で、饒舌になっている。
スーパー無視してはみたが
いざ山椒を振るとなると
「イチ・ニ・サンショッ!」のリズムだったのが照れ臭い。
ウキウキをひた隠しながら、山椒の開花を待つ。
ゆっくりとふたを開ける。
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花開いた山椒の香りがやさしい刺激をくれる。
うな重をいただく。
ここまで来ると美味しいと言っている場合でもない。
止まらない箸はきも吸が落ち着かせてくれる。
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中央には玉子豆腐が坐る。
うな重ときも吸のバランスは言うまでもない。
大ぶりのうなぎをケチっている場合でもない。
箸を置く音で自分が完食したことに気づく。
空っぽの重を見て、大きく息を吐く。
「ご馳走様でした。」と申し上げ、神棚を背にして玄関を降りる。
尾花を、去る。
雨は上がり、軒から落ちる露に草木が揺れる。
「美味しかったなあ」と言いながら
行列の消えた南千住の街並みを眺める。
「すっかり雨止んじゃったじゃなあい」
なんて言いながら陽気な母が名残惜しそうに「尾花」を振り返る。
買いたてのiPhone11Proで「尾花」をバックに両親の写真を撮る。
あまりにもいい写真が撮れた。
あんたら今日死ぬんか!
などとも思った。
限りある命ならば永遠に生きたい
尻に刺さった三島を思い、遠回りしながら家路につく。
お店の情報
店名:尾花 (おばな)
住所:東京都荒川区南千住5-33-1
電話番号:03-3801-4670
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